お盆休み初日、広島駅から少し離れた、とても惹かれる場所に行ってきました。
9月で取り壊しが決まっている、京橋会館という建物です。
終戦から9年しか経っていない1954年に建てられた、店舗兼住宅。
原爆投下後の、バラックがまだ立ち並ぶなか、鉄筋コンクリートの住居は憧れの的
だったようで、今では周りの高い建物に囲まれていますが、当時は広島駅からも
はっきりと見えていたようです。
2日間限定で内部を見学できると母が新聞記事を見つけてから、
ずっと楽しみにしていました。
実際に入ってみると、何とも言えない気持ちになりました。
団地の脇を歩いたり、古い団地の室内を移築した歴史館に行ったことはあっても、
その場にあるそのままの建物に入るのは初めてでした。
母と1つしか歳が変わらない古い古い京橋会館は、街のなかで特別目立っていて、貫禄と
哀愁と、いろんなものを秘めているように感じました。
何十年も空いていた部屋も、つい最近まで住人がいた部屋もあったようです。
錆びたドア、残された古いカレンダー、汚れた和式トイレ、壊れそうな床、
置いていかれたホウキ、どれもがボロボロです。
人が生活してきた痕跡とか気配みたいなものがドーンと来て、頭も視覚も嗅覚も
刺激され続けました。
人がいなくなった途端に、どうしてこんなにも’家’の感じ方が変わるのか、いつも
不思議な感覚になります。私たちの生まれた実家も、いつかはそんな風になって、
何十年の経過が嘘のようにきれいに無くなるんだろうと思うと、切なくもなりますが、
できるだけ”ここに確かに生活があった、確かに生きた”ということを作品として
残していけたらなぁと思っています。
am 12:26