4月25日に、母方のおじいちゃんが亡くなりました。
生きているじいちゃんに会った最後の日から、骨になったじいちゃんを
骨壺に入れた時までの全ての事が頭から離れません。
寂しい気持ちと、91歳の天寿を全うしたおかげか、すーっと死を受け入れる
ことができたという気持ちとが混在しています。
火葬場で棺が鉄扉の中に入っていくさまを見るのが悲しすぎて、恐怖でもありました。
でも扉が閉まった直後に外は大雨が降り始め、骨になるのを待つ間、驚くほど激しい
雷が鳴りました。
「何か言っている」と直感で感じたのと同時に「じいちゃんかっこいいぜ」と、尊敬でした。
私は孫のなかでも一番年下で、一緒に暮らしたわけでもなく、たくさん話したわけでも
ありません。それでもじいちゃんに親しみを抱いていたのは、じいちゃんが母達の父親
だった頃の話を、母からたくさん聞いてきたからです。
ひょうきんで真面目で、人としてものすごく豊かだったじいちゃんを、私はとても
とても尊敬していました。
家に行ったとき、いつも帰り際に私はじいちゃんと握手をしていて、
「じいちゃんまたね〜」と一言交わし、お互いに笑って握手かハイタッチをするだけ
でしたが、私にはとっては本当に特別な思い出です。
亡くなる少し前、病院にお見舞いに行ったときも握手をして帰りました。その時も
じいちゃんは笑顔で握手をしてくれました。
息を引きとってからも、手をちゃんと重ねることができたので、私は悔いなく見送り
できたと思っています。
いつか私が死んで、じいちゃんと同じ所に行くまでは、どこからか見守っていてほしい
なぁとか、いろんな事を考えながらじいちゃんを思う毎日です。
pm 10:47